父の背中

父の四十九日の法要を終えました。

晩年は軽い認知症になり施設のお世話になっていましたが、皆さんに暖かくして頂き穏やかな優しい毎日を過ごしていました。91歳でした。

父は満州事変が起きた年に生まれ、14歳の時に終戦をむかえました。

少年期は戦争中。祖父が陸軍の関係で大阪砲兵工廠に勤務していたので、終戦前日の大阪大空襲での惨状を小さい頃によく聞かされました。

戦争体験によって父は現実主義者でよく働く人でした。幼少期に食糧不足を経験したのでとにかく大飯ぐらいの早食いで、私は子供の頃とても恥ずかしい思いをしていました。

戦後すぐ松下電器に就職して、その後染色会社の役員をしていました。

仕事人間で朝1番に工場に出向き、夜は最後のトラックが帰ると工場を閉めて、夜中も工場の見回りをしていました。私も子供の頃夜中の工場の見回りに連れ出されました。

夏場は50度にもなる染色工場で汗を流しながら働き、仕事が終わると私を釣りやランニングに連れて行ってくれてとても可愛がってくれました。父の子煩悩なところは私も引き継いでいます。

私は思春期に、戦時中のため尋常小学校卒の父を見下すような態度をとったこともありましたが、社会人になって父の偉大さがわかりました。

私も2人の子を持つ親として思春期を迎えた娘たちに苦戦していますが、父のように背中を見せて育てていくつもりです。

父さんお疲れ様でした。
豊かな人生をありがとうございます。感謝

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